大判例

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東京高等裁判所 昭和25年(う)1707号 判決

原判示第一の事実に関する当初の起訴状の記載が「昭和二十四年二月二十七日午後十時過頃千葉県印旛郡八街町八街二区に百二十一番地写真撮影業市原秀雄当二十九年方で同人に対し手拳で顔面を殴打し因つて全治迄数日間の眼瞼部皮下出血傷害を加へ」となつていたのに対し、原審の第五回公判期日に検察官から右のうち「昭和二十四年二月二十七日午後十時過頃」とあるのを「同年三月一日午後十時過頃」と変更し、「数日間」とあるのを「約二週間」と変更する旨訴因変更の請求をしたので、裁判所がこれを許したこと、及び原判決が右訴因に対し「昭和二十四年三月一日午後八時頃千葉県印旛郡八街町八街二区に一二一番地写真撮影業市原秀雄(当時数え年二十九歳)方で手拳を以て同人の右眼と鼻の間の部位を殴打し因つて同人の右部位に全治迄二週間位を要する傷害を加え」たという事実を認定していることは所論のとおりである。

そこで、裁判所の許した右のいわゆる訴因の変更が起訴状に記載された公訴事実の同一性を害しない限度において行われたものかどうか、さらには裁判所の認定した前記の事実と公訴事実とがその同一性を失つていないかどうかにつき考えるのに、公訴事実の同一性の問題とは、ことばをかえれば、結局、検察官が実在するいかなる事実を本来起訴する趣旨であつたのかという起訴状に現われた検察官の意思の合理的解釈の問題に帰着する。すなわち、検察官の起訴状に記載したところのものが変更後の訴因の内容たる事実又は裁判所の認定にかかる事実を意味していると解せられるならばそこに公訴事実の同一性が存するのであり、これに反してそれとは別個に実在する他の事実を指しているのだと解せられればその同一性は存しないことになるのである。従つて、同一性の有無を決するについては、それと類以の他の事実が存在するかどうかが重要な意味をもつといわなければならない。ところが、本件においては、被害者である市原秀雄が三月一日に被告人にその顔面を殴打されて負傷したという原判示事実のほかに、同じ右市原秀雄がそれより二日前の二月二十七日に金丸三郞こと金徳経という朝鮮人に同じく市原方で顔面を殴打され負傷した事実の存在することが諸般の証拠上明らかである。そして、起訴状には前記のとおり殴打負傷の日を二月二十七日と記載してあつたのであるから、はたして検察官が公訴を提起したのは右金徳経による殴打負傷の事実なのか、それとも二日後の被告人による殴打負傷の事実であるのかについては、一応疑を生ずるところである。そこで、その検察官の真意とするところを知るため、まず起訴状記載の事実と原判決認定の事実とを対照検討してみるのに、その犯行の日と治療に要する日数とは相違しているが時刻においてはいずれも夜間である点において共通し、また傷害の部位も一は「眼瞼部」とあり一は「右眼と鼻の間の部位」とあつてほぼ同様である。これに対し、起訴状記載の事実と前記金徳経の殴打の事実とを比較すると、日は同一であること前述のとおりであるが、その時刻は一は「午後十時過頃」であり一は大体午後四時から五時頃までの間(原審証人市原秀雄同金徳経の供述)である。また、傷害の部位程度は起訴状が全治まで数日間の「眼瞼部」皮下出血であるのに対し金徳経の場合は右の鼓膜の破裂で全治まで約三週間を要したというのである(原審証人市原秀雄同甲田勇の供述)。これらの比較の結果から考察すると、起訴状記載の事実と原判示事実とはその特徴的な点において一致しているのに対し、金徳経による傷害の事実との間には重要な点において不一致が存するのであるから、検察官が起訴したのはまさに原判示事実を指しているものと解するのが相当であつて、そこに公訴事実の同一性が認められるので、前記訴因の変更も原判決が前記事実を認定したこともともに正当であつたといわなければならない。そして、以上のごとく公訴事実の同一性が存する以上、そのことにつき一々判決で説明を与えることは別に法の要求するところではないから、原判決がこれを説明しなかつたからといつて理由不備であるということはできない。

次に、前記市原秀雄が金徳経に殴打されたため受けた傷害は右鼓膜破裂のみであつてその際眼瞼部には傷害を受けなかつたことは原審証人市原秀雄の供述及び同人の検察官に対する供述調書の記載によつて明らかであり(当審における証人市原秀雄同甲田勇に対する各尋問調書の記載によつても右認定は正しいものと認められる。)右認定に反する原審証人甲田勇の供述部分は措信し難い。ただ原審において証拠として取り調べた医師甲田勇作成の診断書には昭和二十四年二月二十八日の日附で右鼓膜破裂、右上及下眼瞼部皮下出血との記載があつて、これによると市原秀雄は三月一日に被告人に殴打される前すでに眼瞼部に負傷していたように見えるのであるが、右の診断書は原審において取り調べた市原秀雄の証人としての供述及び検察官に対する供述調書の記載並びに原審証人甲田勇の供述によると日附を遡つて作成されたものでないかとの疑があり(当審における事実の取調の結果によればその疑は一層強いものである。そして、同診断書に押捺された八街町警察署の受付日附印についても同じ疑が存する)これをもつてにわかに前示認定を左右することはできず、原判決もまたこれを証拠としては採用していないのである。しからば、金徳経の殴打によつて市原秀雄がその眼瞼部に負傷したという事実を前提として原裁判所の審理不尽、原判決の理由不備を攻撃する所論もまた採用することのできぬものであつて、論旨は結局いずれの点においても理由がない。

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